水島臨海鉄道② 上り
結局この地を知ろうとすると
水島発展の歴史を紐解いていく必要がありました
そんなに大昔でもない頃
地名に〇島とつくところ(連島・乙島・柏島・亀島など)は
海に浮かぶ島だったというのは本当のことだったようです
遡ること天正12年 宇喜田秀家による早島から高梁川河口汐留堤防築造
1600年代前半 高梁川河川の干拓により児島と陸続きになる
大正14年 東高梁川を酒津で締め切った結果東高梁川は廃川地となり、
造成された干拓地(454ha)となった
など地図をまじまじと眺めることとなりました
痛ましい西日本豪雨の記憶はまだ新しいのですが
高梁川というのは、水の勢いが強く
その上曲がりくねっており
やっかいな水害の歴史を持つ川でした
それなのに藩の領地が複雑なため
一貫した治水工事が行われることなく
おざなり堤防はたびたび決壊を繰り返していたそうです
明治になって未曾有の大洪水をきっかけとして
やっと内務省による大改修が行われました
大正14年に2つに分岐していた高梁川の東側を締切り
西側の太い本流だけとする工事にこぎつけたという歴史です
りんてつの駅「浦田駅」あたりまでは
海だったのか、と想像してみてください
山の形を眺めていると、本当に海に「島」がぽっかり
浮かんでいるように見えてきます
「倉敷芸術科学大学」のキャンパスは
島の学校、てところです
ひょっこりひょうたん島のように
見えます
浦田駅から300m北に五軒屋という所があり
連島との間に高梁川(東側)が流れていた頃は
渡し舟が行ったり来たりしていたそうです
浦田より南を地図上で見ると
網目のようになっている部分の形がちょうど
扇の形になっています(これって扇状地という?)
車窓からは左右にごぼう畑が広がります
後から気づきましたが、上の画像の右端に
どうやら鉄道ファン?が
写り込んでいました
ちなみに「連島ごぼう」美味いです
私のお弁当にはよく登場します
細かい粒子の砂地、ミネラル豊富の土壌で育った
色白できめ細かでアクが少ないごぼうです
1本200円~300円ぐらいでスーパーで買えます
上の画像(左)をクローズアップすると
これまた写り込んでいる
三脚にカメラの人↓
酒津(さかづ)に
流水制御施設ができてから
農業の灌漑用水も整備され
上記のような産地背景にも恵まれました
ところが昭和16年に戦争がやってきます
軍用工場の場所としてこの水島が選ばれました
水島臨海工業地帯は陸海交通の便良好
せっかく突貫工事8か月で敷設された臨海鉄道と
たくさんの労働力を結集して建設された軍用機工場は
1945年米軍の空襲により破壊されました
何てことをしてくれたんだ!!
戦後、産業の重化学工業化により、工業が発展
農業中心だった村が工業中心の臨海工業地帯へと変貌してゆきます
三菱自工前駅
水島駅
常盤駅
栄駅
弥生駅
浦田駅
福井駅
西富井駅
球場前駅
倉敷市駅
倉敷市役所 水島支所 産業課
086-446-1113
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